6 月 8 日に秋葉原で大変な事件があった。 附属池田小事件からちょうど 7 年というこの日に、だ。
被害に遭われ命を落とされた方のご冥福と、現在も治療が続けられている方の一刻も早くの回復をお祈りしたい。
私がそれを知ったのは 14 時 20 分頃の友人からの電話であり、電話の時点では横浜の金沢文庫にいたので正直他人事のような感覚ではあった。 だが当日の行動を振り返ると、その事件現場に居合わせる可能性もあったわけで、それをちょっと書いてみる。
8 日はそもそも、横浜市金沢区の母方の祖父母の家 ( がかつて建っていた場所 ) に行こうと思っていた。 去年祖母が亡くなったこともあり、折を見て訪れたいと思っていたのだ。 行くことは何週間か前から考えてたが、8 日に行く、というのは 6 日くらいに決めたと思う。
起床後にまず、道中聞く iPod のプレイリストの整理を 2 時間くらいやった。 そして、家を出たのが 12 時前。
湯島の自宅を出て湯島仲坂を下り、昌平橋通りのファミマで食い物を買ったのが 12 時 10 分頃。
ここで、交通経路を考えながらとりあえず中央通りへと向かった。 経路の選択肢は大きく 2 つで、京急 or JR だ。
さらに JR ならば、御徒町から行くか秋葉原から行くかの 2 択だが、ウチだと大抵秋葉原利用ですな。 京急ならば、乗り入れをしてる都営浅草線利用になるので、浅草線まで都営地下鉄のどの線にどこから乗るかというハナシになる。
ウチは当初 JR で大船まで出ようとか思っていたみたいだが、歩いてるウチに「京急で行こう」と決めたようだ。 それが多分、中央通りの黒門交番の交差点をそのまま渡って JR 山手線のガードまで歩いていた頃。
京急ならば都営地下鉄なので、そこからの直近は大江戸線の上野御徒町駅になる。 しかし、それまで JR 秋葉原駅に行こうと考えていたのに引きずられたのか、JR のガードをくぐってスグに右折し、ガード沿いに南方向に歩いた。 おそらくこの時点で、都営新宿線岩本町から乗車して浅草線に乗り換えるつもりだったんだと思う。
PC ボンバーの前を「人がたくさんいるなあ」とか思いながら通り、蔵前橋通りを渡って直進して、 7-11 の有る交差点を渡った。 この交差点は事件現場へつながる通りなのだが、通った時点で既に事件が起きていたかどうかは判らない。 JR の山手線と新幹線のガードが有って、見通せないのだ。
そして秋葉原駅東口ロータリーのマックの前で「メガたまご」を買うかどうかを迷い、駅東口改札前を通過し、万世橋警察署前の通りで左折して昭和通りに出て南下。 岩本町駅の近くのヤマザキデイリーに入りつつも何も買わず出て、駅に入場したのが 13 時くらい、のはず。 そこからは 13 時 04 分発の本八幡行きに乗車し、馬喰横山・東日本橋駅から羽田空港行き快速~京急蒲田駅で三崎口行き快特だ。 んで、何故か金沢八景ではなくて間違えて金沢文庫で下車し、電話を受けて事件を知ったという次第なのだ。
その後は東急車輌の工場を見つつ金沢八景まで歩き、さらに横浜環状 4 号線にて、大道の祖父母宅まで歩いたのだな。
ウチの休日の普段の行動を振り返ると、公共交通機関にアクセスする前に、秋葉原の喧噪を見物することが多い。 中央通りをぶらぶら歩いてJR の秋葉原駅まで行くとか、さらに歩いて神田駅まで行くとか、だ。
だから家を出たときは、おそらくそういうつもりだったんだと思う。 それが何故か中央通りを避けて、でもわざわざ岩本町まで歩いている。 岩本町に行くにしても、中央通りを通って喧噪を楽しむというのがいつものウチなのに、今回はやってないのだ。
もちろん日々の行動に明確な理由なんて無いし、偶然だとは思う。 だが、祖父母が守ってくれたのならば感謝したいし、そう思いたがってる自分が居るのだ。
金沢区大道の祖父母の家は、祖母が入院している時点で取り壊されて更地になってしまっている。 そこに来たのは 6/8 で 2 度目。 更地の前で立ちつくし、いくばくかの時間を経て、さあ帰るかという頃に友人からの第二報の電話が鳴った。 大体 15 時前くらいだった。 それは秋葉原のソフマップの前がすごいことになっているという実況中継であった。
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