Weblog of pikopiko

声優・アニメ・写真とかを綴るブログ ( ……っつーか、日記か? )

「半分の月がのぼる空」を読み、そこから橋本紡さんの作品をドカっと読んだ。 あ、でも「バトルシップガール」や「猫目狩り」はまだ読んでないな。

んで、多少なりとイキオイがついたので、とらのあなの栞フェア開催時になんとなく買った、電撃文庫の或るシリーズを読んだ。

──「終わりのクロニクル」


20 日かかりましたよ、 7 巻 14 冊のシリーズの読破に。

  • 終わりのクロニクル (1・上) / 387p
  • 終わりのクロニクル (1・下) / 451p
  • 終わりのクロニクル (2・上) / 387p
  • 終わりのクロニクル (2・下) / 483p
  • 終わりのクロニクル (3・上) / 387p
  • 終わりのクロニクル (3・中) / 387p
  • 終わりのクロニクル (3・下) / 483p
  • 終わりのクロニクル (4・上) / 499p
  • 終わりのクロニクル (4・下) / 515p
  • 終わりのクロニクル (5・上) / 515p
  • 終わりのクロニクル (5・下) / 579p
  • 終わりのクロニクル (6・上) / 579p
  • 終わりのクロニクル (6・下) / 611p
  • 終わりのクロニクル (7) / 1,091p

シリーズ合計で 7,354p …。 読み終えてベッドのまわりに散乱している文庫本を棚に収納すると、うわっ、めっちゃ場所喰う!!

自分的には、1 日 1 冊で 15 日で読む! ──とか意気込んでいたんでけどね、いやー無謀でした。 読み進める程に 1 冊あたりのページ数が増えていくので、どんどんキツクなっていくんだなコレが。 最後の 7 巻なんて、一体何度半分に裂こうかと思ったことか。 1,000p 超の文庫本ってのは実に衝撃的なシルエットなんですが、分厚くて持つづらいコトが最も凶悪でした。 いや、マジ持ちづらくて、読みづらいんだな。

実は 20 日のウチで、全く進まなかった日が 2 日くらいあったんですが、まあリフレッシュしなければ読み進められないってのもワカって下さいな……。


しかしですよ、ライトノベル最厚のシリーズを読破してしまうと、もう「何でも来い! 」な状態になるのだ。 マジで何を手にしても「薄! 」とか思える異常な事態に。 ははは。

そして、何故か「乃木坂春香の秘密」を 3 冊読み、「まぶらほ」の最新刊を読み、今日からは「わたしたちの田村くん」を読み始めたところですな。 ……か、偏ってるなあ。 このあたりの本だと、1 冊 300p くらいなので、1 日 1 冊のペースはかなり楽だ。

昔どっかで「小説を読むのは、自分にとって体力を使う作業なのでね……」とか言って、読むのが遅いことの言い訳にしていたんだけど、ウソみたいだよ、まったく。 結局はモチベーションの問題であったか。

「わたしたちの~」を読了したら、途中で読むのを止めてしまった「涼宮ハルヒ」シリーズか、やっぱり栞フェアで買った「しにがみのバラッド。」シリーズを読むかな。

そうそう、「乃木坂~」は某 K 妻氏のお薦めですた。 面白かったから、そのお礼に Blog で曝しておこう。 うはは。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

拙 blog のエントリ「砲台山は何処に在る? その 4 」に「いにしえの伊勢」の jyugemu さんからコメントを頂きました。 ありがとうございます。


「半分の月がのぼる空」の舞台である伊勢は、歴史のある街です。 「いにしえの伊勢」では、伊勢の古くて貴重な絵葉書を紹介されていて、そういった歴史の重みを感じさせてくれます。

虎尾山1(伊勢)」のエントリ以外も、私は隅々まで読みました。 丁度今、「御遷宮奉祝神都博覧会」とかについて調べているので、とても参考になります。


たしかにお互いの blog の内容は違うのかもしれないのですが、こういった出会いはネットならではと思い、また感動もしています。 今後ともお互い、ゆるりとやっていきましょう。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

御遷宮奉祝神都博覧会について - posted by jyugemu at 2006/3/20 18:29:26

すでにご存じかも知れませんが
『写真集 三重百年』 中日新聞本社 昭和61年11月
に少しだけ触れられています。それによると、各展示館の写真とともに
 「昭和5年3月10日開会、会期61日間。会場は参宮急行
  (現・近鉄)宇治山田駅前。台湾館、朝鮮間、満蒙館、北海
  道館、樺太館、遷都館、名勝館、名物館、演芸館もあった。
  当時の世相を反映している。入場者は55万人を数えた。」
とあります。

3/5 に 3 度目の聖地巡礼をしてきました。

それまでの 2 回は、どちらも終電で宇治山田駅に夜中の 23 時 59 分に着くという行程でして、こりゃさすがに『深夜徘徊世古口』……なんだよねえ。 なので、今回は朝の 10 時半ころに宇治山田に着くという、普通の行程で行ってきました。


さて、まずは「砲台山 = 虎尾山」への登山です。 登り切って見れば、ニャロメの塔の下に見慣れない物を発見。 をを、砲台山にノートががが!!!  「星待月夜」のしぺらんさんが設置されたとのことで、早速ノートに書き込みをしました。 ノートについては「半分の月がのぼる空 ジオキャッシングもどき」に記述があります。

そして、ニャロメの塔によじ登り、撮影を開始。 自宅で地図を何度も何度も見て、シミュレーションを重ねたおかげか、すぐに成功。

ニャロメの塔から見た山田赤十字病院

虎尾山のニャロメの塔から見た山田赤十字病院です。 これが最大の積み残しだったんですよね。 はい。


そして虎尾山を下り、今度は市立図書館へ行って調査活動をしたのでした。

対象はもちろんニャロメの塔。 今回いくつか判りました。

『度会・大宮・南伊勢の山  27 山 / 伊勢山岳会 福井正身・著 / 1994/02/19 第 6 版発行』によれば、虎尾山の塔は日露戦争関連のものとのこと。 ただし、確度としては地元の伝聞と同じくらいかなあと感じました。 そこでさらに調べると、

「虎尾 ( とらがを ) は南方にある高台で、山上に笠松といふ古木があつたが伐採せられて今は無くなつて了つた」 ( 宇治山田市史 上巻 / 宇治山田市役所編集 / 昭和 4 年 1 月 20 日発行 )

というのを見つけました。 上の記述箇所は本の地誌の部分です。 これは多分虎尾山のことを書いたんだと思うのですが、塔については全く触れられていません。

「宇治山田市史」の後に刊行された「伊勢市史」の方も調べたのですが、こちらにはそもそも地誌の部分が無かったです。

他の本を見ると、『図説 伊勢・志摩の歴史 上巻』には『神都博覧会鳥瞰図』という図絵があり、これには「虎尾山遊園地」と「塔」が描かれているのを見つけました。 昭和 5 年のものだそうです。

以前触れた、『 So-net blog:いにしえの伊勢:虎尾山1(伊勢) 』のページの『伊勢参宮地図』にも遊園地は描かれており、こちらは昭和 4 年 3 月の発行です。


うーん、想像を逞しくしてみるのならばですよ、昭和 4 年に「第 58 回式年遷宮」が、昭和 5 年に「御遷宮奉祝神都博覧会」が開催されていることを考えると、それらに合わせて遊園地が造られたのかなあ、という可能性が考えられますね。 塔はその時造られたのか、それよりも前から有ったのかは不明ですが、宇治山田市史で全く触れられていないことから、遊園地と一緒に造られた可能性が考えられるのではないかと。

ただ、ぜんっぜん資料が無い。 検索したら東京都立図書館の本館に神都博覧会の資料があるみたいなので、今度調べに行ってきます。


さてさて、調査を終えた私は、まんぷく食堂で「からあげ丼大盛り」を、さらに赤福内宮前店で「あかふくぜんざい」を食べたのでした。 もう定番ですな。 夏は絶対「あかふくこおり」だ。

そして、内宮からの帰りに、もう一度の砲台山登山を。

暮れ行く稜線

外宮の方角には、暮れ行く稜線が見えます。 きれいです。 そして見上げれば、そこには半分の月 ( ……に、実は少し足りない ) が。

ニャロメの塔と半分の月

幻想的です。 思わず見とれていたら、あたりは真っ暗に……。 あわわ。 足元も見えませんよ。

まあ一応、そういう事態を予想してハンドライトを持ってきていたので、なんとか下山は可能でした。 でも、夜の山に慣れていない場合は、かなり危険なので、全くお勧めはできません。 特に、下りの方が危険なんですよ。 はい。


そんなこんなで、砲台山を満喫して帰ったのでした。 お土産に「伊勢うどん」を買ったので、晩メシはしばらくそれだな。 うむ。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

虎尾山 - posted by †††††冴††††† at 2006/3/8 17:16:14

こちらの記事を参考に、ン年ぶりに蓮随山~三郷山行ってきました。
ずいぶん変わっていてビックリでした。

D200いいなぁ…(Exif情報見ながら)と羨望はともかく。虎尾山の詳細な記事、すごいの一言です。
私も登る度に何度も日赤の撮影は試みましたが、28(22)~85mmのコンデジでは説得力のある写真は撮れませんでした。

虎尾山の資料に関して、「神都の博覧会男 北岡善之助」の中の神都博覧会の絵図(昭和五年)にも虎尾山に塔が確認できます。
確認してませんが、「図説 伊勢・志摩の歴史 上巻」のものと同じものでしょうか。

さて、前回のエントリ「砲台山は何処に在る? その 3 」にて『私は~山道を分け入っていったのだった』…等と期待を持たせる終わり方で書いたのだが、実はあまりネタが無い。

もう、この後はひたすらタダの登山だったんですよね。 うあー。 まぁそういうわけで、 2/5 の行動の続きを。


整備されたロマンの森の道を外れ、私は山道のキツイ傾斜を下っていった。 多分この先は白石山か蓮随山だ。 いやいや記憶でそう思いこんでるだけかもしれない。 …思いこみは危険だな。 うん。

そんなことを考えているうちに傾斜が緩やかになり、ほぼフラットになったところに出た。 道が分岐している。 さあ、どうするか。 今日は国土地理院の地図も持ってこなかったし、ハンディ GPS も無い。 そして道は割とマジな山道だ。 天候は崩れる危険がある。

私は、左を選んだ。 方角で言えば西だ。 そっちに行けば、住宅街や市街があることが判っているからだ。 そう、遭難するリスクのことを考えたのだ。

そしてさらに進むと、道の右手の丘の上にやや開けた場所があるように見えた。 …だが、そこには「青いビニールシート」が張ってあるようだ。 人が生活している…のかもしれない。

開けた場所ならば、そこからの眺望を確認したい。 それこそが今回の登山の最優先事項だからだ。 だがしかし、もしも誰かいたらトラブルになる可能性がある。 伊勢が始めての私としては、それは避けるべきことに思われた。 私は、ビニールシートの丘には登らず、下の道を進んだ。 小心者かもしれないが、それでいい。

道は少しずつ下っていき、いきなりとても開けた広場に出た。 フェンスに囲われた人工的な構造物が、そこにはあった。 それは、宮川中学校の裏手の『配水場』であるらしい。 後から調査した結果によれば、なのだが。

その『配水場』はそこそこの眺望ではあったが、標高は大分低い。 見ると下り階段が学校の方に伸びていた。 「行けば、登山は終わるな」 空を仰ぐと天候は回復しており、日射しがとても眩しい。 私は、先程の分岐を想い出していた。


分岐を今度は右に行く。 山の深い方へと入るのだ。 道は左手が山、右手が谷側となっており、軽く緊張しながら進む。 と、林越しながら、右の谷の対岸に何か見えた。

……ああ、ありゃ『やすらぎ公園』じゃねーか。 そうか、位置関係が判った。 なるほどなるほど。

山道はそのあたりで 90 度左に折れ、今度は 2 つある峰の間の沢筋を下ってゆくようである。 「さて左と右と、今度はどちらにするかな? 」

私は右の峰を選んだ。 たいした理由は無い。 登りやすそうだっただけだ。 しかし、実際にはそこに登山道など無かった。 ひたすら強引にガケを登るだけだ。 もうワリとではなく、思いっきりマジに登山だ。

蓮随山のピーク

そして、ピークに達した。 たぶん蓮随山の、だ。 上の写真がそうだ。 しかし、木々が生い茂っていて眺望は皆無。 実に残念だなぁ。 赤いビニールテープが巻かれた枝があるので、登山者が過去にここを訪れたことは分かるが、山の名を示すプレートなどは無かった。

時計を見れば、ちょうど正午。 そろそろ降りるか?  まだ、外宮も内宮もお参りしていないし、腹も減ったな。 そうだ、まんぷく食堂に行こう。 そう思い至った私は先ほどの山道まで戻り、そして峰の間の沢筋を降りていったのだった。


さてさて、2/5 の登山はここで終わるのですが、いくつか積み残しがあるのですね。

  • ニャロメの塔の山が虎尾山であることを確認する
  • その付近の山 ( 朝日山・永代山など ) にも登る
  • 蓮随山のことを調べてなかったので、調査しておく
  • そのとなりの白石山に登る
  • ハンディ GPS を持参し、各山頂を地図にプロットする

いままでの状況から「砲台山のモデルは虎尾山である」ことはほぼ確定かと思われた。 やはり、橋本紡さんが旧日記で書いていたんだしね。 だが補強材料が必要だ。 確定するために。 ……まぁ、疲れたからそれは次に伊勢に来た時にしよう。 うん。


閑話休題。 自宅に戻って調査していると、こんなページを見つけたのだった。

So-net blog:いにしえの伊勢:虎尾山1(伊勢)

興味深いのは、そのページの絵葉書だ。 右上に塔の写真があるのだが、私はその塔に見覚えがあった。 『ニャロメの塔』だ!  現地に行っただけに、私にはスグに分かった。

……ということは、上の blog の記事から推測するに、少なくとも戦前の時点から塔はそこに建っていたわけだ。 虎尾山遊園地に。 やはり、「ニャロメの塔 = 虎尾山 = 砲台山」の線で間違い無いようだ。

とすれば、あとは橋本さんの旧日記の記述に基づいて付近を調査してさらに補強することが必要かなと思った。 そう、この時に、私の心は決まったのだ。 2/12 にまた伊勢に行くと。 うん。

んじゃ、その 5 からは 2/12 に訪れた時の内容を書きますね。


追記 : ( 2006/03/02 )

星待月夜」さんの「半分の月がのぼる空 若葉病院=山田赤十字病院説まとめ(仮) 」の記事に、参考になる写真がありました。 見れば、近鉄のトンネルに虎尾山の銘板がありますね。 やはり「ニャロメの塔 = 虎尾山」なのですね。 はい。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

no title - posted by jyugemu at 2006/3/15 21:07:28

 初めまして。「いにしえの伊勢」の管理者「じゅげむ」です。私は「伊勢の古絵葉書の写真撮影地が、今どうなっているのかを追い求める」というマニアックなブログを書いています。川上様の詳細な研究のおかげで「砲台山」(虎尾山公園)の場所を正確に知ることができました。どうも有り難うございました。

思いがけないこと - posted by Weblog of pikopiko at 2006/3/16 20:11:41

拙 blog のエントリ「砲台山は何処に在る...

「病院について考えてみた」のエントリに「星待月夜」のしぺらんさんからコメントを頂きました。 ありがとうございます。

んで、そのコメントを読んで、「ああ、自分の思考は固まってたなあ」とか思ったので、それを。


病院については、小説中にいくつも記述があります。

「その向こうに三階建ての小さな病院があった」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 1 巻 24p )

「市立若葉病院には、東病棟と西病棟がある」 ( 同 1 巻 41p )

「屋上には洗濯されたばかりのタオルやシーツが干されていて、風を孕んではたはたと揺れていた」 ( 同 1 巻 136p )

「小さな病院だが、それでも百人くらいの入院患者がいるし」 ( 同 2 巻 50p )

これらから、

  • 「『百人くらいの入院患者』 = 100 床くらいの規模の病院? 」
  • 「病棟が 2 つで、3 階建て」
  • 「屋上にシーツ = リネンを外部業者に委託していない? …というくらいの規模かなあ」

……等を私は想像したわけです。

んで 1 巻あとがきの記述から、「上のような病院が、伊勢から少し離れたところに実在するのかなあ」と思ってたわけですな。


コメントから「固まってた」と考えさせられたのは大きく 2 点ありまして、

  1. モデルって言っても、病院の描写がそのまま引き写されてるワケじゃないかもしんないよなあ。
  2. 伊勢から少し離れてる──の距離感って人によって違うよなあ

……な、あたりなんでした。

1. については、「 100 床くらいの規模っていう部分に囚われてたかなあ」と気付かされたんですね。 前エントリで 3 つあげた病院の全ては、その規模が 100 床を大きく上回るので、完全に除外して考えていました。 うん。

モデルとなる病院をそっくりそのまんま引き写してはいない可能性を考えていなかった。

それから、 2. は『少し離れて』をどう受け取るかっていうこと。

『半分の月がのぼる空』で描かれる舞台は狭い。 浜松に行ったりはしたけれど、基本的には若林病院とその周辺しか出てこない。 そして私は、前エントリの 3 つの病院とも舞台のテリトリー内と考えていたんですよ。

慶友病院はいわずもがな。 外宮・内宮が出てくるので、市立総合病院もテリトリー内かな。 山田赤十字病院は、わりと微妙な位置だけど地図を見たときの感覚ではテリトリー内かな…とね。

でもそれは、実際に伊勢に住んでる人の感覚ではなかったよなあ。 山田赤十字病院の所在地は、今は合併したから市内だけど、でもそれは表記上のことでしかないし。

とまあ、そんなことを思ったのでした。 はい。


病院についてはこれで終わりかな。 多分伊勢の外にいる私には結論が出せないし。

橋本紡さんが伊勢マップを前向きに検討されているみたいなので、もし病院について語られるのならば、それを期待するしかないかな。

まあ、そういうわけで、やはりとりとめもなく書いてしまいました。 読みづらくてすみません。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

no title - posted by キンニ at 2006/8/9 00:47:06

どうもはじめまして。
時々このさいと見てます。
自分も半月大好きです。

病院の事なんですが自分は伊勢保健所じゃないかと思っております。
いちよう東棟と西棟があるし西のほうには外宮もあるからです。
でも自分は伊勢の人ではないので虎尾山がどれなのかは分かりません。
ただyahooマップで調べた結果です。いちようそこの航空写真と地図のURLはっときます。

↓航空写真
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F28%2F35.589&lon=136%2F42%2F48.897&layer=1&ac=24203&mode=aero&size=s&pointer=on&sc=2

↓地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F28%2F35.589&lon=136%2F42%2F48.897&layer=1&ac=24203&mode=map&size=s&pointer=on&sc=4


なんか分かったら連絡ください

どもです - posted by 川上みけ at 2006/8/10 18:08:30

はじめまして、コメントありがとうございます。
病院については「幾つかのモデルをミックスした」……ということのようですね。 橋本紡さんがそう書かれてますし。
ですので、保健所を部分的に利用したという可能性はあるかもしれませんね。 はい。
ただ、さすがに保健所は見に行ってないので、私には判らないなあ…。 3 月を最後に伊勢には行ってないし…。 あう。 また行きたいんですが、日程的な都合がつかないのが寂しい。 8/8 に行けなかったし。

そうそう、「半分の月がのぼる空」の最新刊の 8 巻に伊勢マップが付いてますね。 これによれば、病院の立地は慶友病院がモデルということになるのかなと思います。

『半分の月がのぼる空』の舞台は病院ですよね。 今回は病院について書きます。


小説に出てくる病院の名前は『市立若林病院』ですね。 この病院については橋本紡さんは以下のように述べています。

「裕一と里香が入院している病院は実在の病院をモデルにしているものの、それは伊勢から少し離れた場所にあります」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 1 巻 226p )

これは、病院そのもの ( 外観とか内部とか ) についての記述だと私は考えています。 『伊勢から少し離れた場所』と書くくらいだから、モデルとなった病院はきっと伊勢市街やその近くには無いのでしょうね。

ちなみに、津市に若林病院という名前の病院は実在するみたいなんですが、行ったこと無いので私には何とも言えないです。


それでは、病院の立地としてはどうなのでしょうか。

小説中の記述では、「病院は町の高台にある」、「病院からは外宮が見え、その右に砲台山が見える」、「病院の西方、小高い山に高校がある」ことになっています。 「砲台山のモデル = 虎尾山」と確定しているので、この条件を満たす立地は「岡本」「勢田町」地区の向山か船江山あたりと言うことになるでしょうか。 この場合、商店街も図書館も高校も近くには無いと思われます。 いろいろと破綻するのですよ。

さて、ここで「砲台山の立地は三郷山である」とあえて定義してみましょうか。 こうすると、病院や病院の近くにあるポイントがある程度は無理なく存在できるようになります。 うーん。 ではその線で少し考えてみますかね。


まずはじめに「市立伊勢総合病院」を。

市立伊勢総合病院

この病院は、名前としては「市立」で条件を満たします。 が、砲台山の立地を虎尾山・三郷山のどちらに設定しても、図書館・高校・商店街との位置関係を満たせません。 なので、脱落……でしょうか。


次に「山田赤十字病院」です。

山田赤十字病院

この病院は、「三重県の南勢地区以南では心臓血管および呼吸器外科手術を行える唯一の施設」なんだそうです。

立地としては概ね良いのですが、ここから外宮方向を眺めるとき、外宮の森 ( 含む高倉山 ) と、その西の三郷山山系が一体化して見えるでしょうね。 あと、山田高校の方角は南南西になってしまいますね。

商店街については、「しんみち商店街」の終わりからはずいぶん離れてます。


最後に「伊勢慶友病院」です。

伊勢慶友病院・北側伊勢慶友病院・南側

上が病院を北から見上げた写真で、下が南の方から撮影したものです。

立地としてはこちらも概ね良く、山田高校は南西の方角に見えます。 高倉山・三郷山には大分近いので、はっきりと分離して見えるはずです。

商店街については、こちらも「商店街」の終わりからはやや離れています。 しかし、「たかやなぎ商店街」のアーケードからはすぐ近くなのはポイントでしょうか。


さてさて、ここで小説から他の記述を引用します。

「『うちはさ、あんたも知ってるだろうけど、K大学の系列なんだよ』」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 81p )

亜希子さんの科白です。 「伊勢慶友病院」は昔慶応大学の系列病院だったそうなので、これは重要なポイントかと思われます。

「僕は市立図書館までの長い道程を踏破してきたのだった」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 1 巻 82p )

これもポイント。 「伊勢慶友病院」からだと、約 500m の道程。 そして「山田赤十字病院」からだと約 1,300m の道程だ。 「長い道程」に着目するならば「山田赤十字病院」なのかもしれない。 でも入院していて、抜け出すと怒られる患者にとっては、 500m の道も長いかもしれいないですよねえ。

「遠くに商店街のアーケードが見えている。潰れかかったデパートの青い看板も見える。その少し奥に神宮の森がこんもりと盛りあがっている」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 2 巻 139p )

これもポイントでしょうか。 青い看板のデパートとは「三交百貨店」ですよね。 現実には既に閉店してしまいましたが。 この三交を眺め、少し奥に外宮が有るという位置関係は、「山田赤十字病院」の方がやや適してますね。


で、「市立若林病院」が建っている場所はどこなのか。

総合的に判断すると……「伊勢慶友病院」と「山田赤十字病院」のどちらもアリなんですよね。 私は「伊勢慶友病院」を押したいとこなんですが、「山田赤十字病院」も否定は出来ない。

もう少し小説を読み込んで、考察する必要がありそうです。 あう。 すみません、オチつかなくて。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

若葉病院のモデル - posted by †††††冴††††† at 2006/3/3 21:38:54

病院については諸説ありますね。
「実在の病院をモデルにしているものの、伊勢から少し離れた場所にある」と1巻のあとがきに書かれていましたね。

第一巻時点での物語内時間、西暦2000年時点で考えてみると、
K大学系列といえば慶応だけど、慶応病院は伊勢市内です。
日赤(山田赤十字病院を現地民はこう呼ぶ)は御薗村にあり「伊勢から少し離れた場所」の条件には合致。ただし、病棟の配置が小説とは違う。
伊勢病院は病棟の配置が小説に近いが、立地条件が違う。

個人的にはこの三つの病院のミックスだと思いますがいかがでしょうか?

病院についての補足…かな? - posted by Weblog of pikopiko at 2006/3/7 20:30:14

「病院について考えてみた」のエントリに「星待月夜」のしぺらんさんからコメントを頂きました。 ありがとうございます。
んで、そのコメントを読んで、「ああ、自分の思考は固まってたなあ」とか思ったので、それを...

町の高台にある病院といえば - posted by SUKUN at 2006/9/6 23:29:02

伊勢から少し離れた場所にある、町の高台にあるといえば「県立志摩病院」は伊勢から少し離れた志摩市鵜方の高台にあります。高台のみ一致かと。
山田赤十字病院、市立伊勢総合病院、県立志摩病院は系列としては三重大系列かと思います。

『半分の月がのぼる空』には、カメラが出てくる。 『ニコン製の一眼レフ』だ。 1 巻で裕一の父親をイメージさせる小道具として登場したそれは、3 巻からはがらりとその性格を変え、最終的には裕一と里香の日常を支えるポジションに収まっている。

6 巻で裕一は、自分で現像までしているね。 あぁ、酢酸の匂いがよみがえってきた…。 き、気持ち悪い……。(ww

さて、ではその 3 巻の記述から。

「一眼レフだからレンズはいいものだけど、なにしろ古いのでオートフォーカスなんてついていない」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 92p )

「もちろん自動露出補正機能もなかった。」 ( 同 )

カメラ好きとしては、やはり機種が気になる。 この次のページで裕一が値段を言っているが、そこからニコンの F ヒト桁かと、想像した。  F か F2 かと。

「『この数字はなに? 』『そ、それはシャッタースピード』~『じゃあ、こっちの数字は? 』『フィルムの感度……だったかな……たぶん……』」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 108p )

おや、ASA を設定できるのか。 ならば、フォトミックファインダーが装着されているのだな。 ふむ。

この先のページで、裕一は蓋の開け方が分からず苦労し、里香の助けで開ける。 その部分の記述にはちょっとした疑問があるのだが、それは飛ばして蓋という部分にだけ着目しようか。

「『ねえ、これじゃない 』 パカ、と蓋が開いた」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 109p )

これでなんとなく想像がついた。 F2 だな。 F だとパカって感じじゃないと思うから。

そして、その先ずっと読み進めても「ガチャガチャ」の話は出てこない。 裕一は蓋の開け方を知らなかったのだから、父親に教えてもらえなかったのかもしれない。 それにレンズが 1 本だけだったならば、関係無いわけだしなぁ…。 でもまぁ、そのあたりから、 F2 フォトミックの A か AS かと推測してみた。 要するに Ai レンズをつけているんじゃないかと思ったのだな。


さてさて、じゃあ「ちょっとした疑問」の話を。

「『ほら、これ 』 里香が指差したのは、フィルムを巻くレバーの脇についている、銀色の小さなツマミだった。蓋を閉めて、そのツマミを捻じってみると、さっきと同じようにちゃんと蓋が開いた」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 110p )

おや? 違和感がある。

フィルムを巻くレバー』とは、巻き上げレバーのことか? それとも巻き戻しクランクのことか? いや、どっちにしろ記述のような場所にはツマミはないはずだ。 F も F2 も蓋を開けるツマミは底面にある。 底面のツマミを起こして捻じるのだ。

うーん……。 しばらく考えて、思い出した。 そういえば、Nikomat EL や Nikon EL2 がその記述に近いのではないか? 確か EL 系は巻き戻しクランクの脇にツマミがあって、それを操作してクランクを引き上げると蓋が開くのだ。 Nikon のカメラの中では、知らないと蓋がなかなか開けられない機種だ。 多分、裕一には無理だな。(w

でも、EL だと絞り優先の AE が使えるから、小説の記述とは反する。 うーん…。 さてさて、じゃぁ機種は何だ?

──まぁ、それは小説中で明かされているのだ。  4 巻 324p で夏目が F2 と言ってる。 夏目はカメラのことにも詳しそうだし、ホントに F2 なんだと思う。 F2 は機種名がボディに書いてあるワケじゃない。 知らなければ、F2 と断言できないだろうから。

じゃぁ、蓋を開けるツマミの件はというと……これは謎だ。 間違えたのか、それとも確信的に他の機種のソレを混ぜて書いたのか? ホントのところは橋本さんに聞くしかないと思うのだが、私は実は後者ではないかと睨んでいる。


ひとつのものをふたつにわける。

ふたつのものをひとつにあわせる。


考えるに『半分の月がのぼる空』にはそういった部分がいくつか見られる。 「病院の立地と、病院そのものの記述」 「小説の古市街道の描写と、現実の御幸街道の描写」 ……多分探せば他にもあるだろう。 そしてそれらは小説のテーマにも実はリンクしているのではないかと思うのだ。

それは…、「半分の月」 「裕一と里香」

深読みどころか、大ファールの可能性も大きいのだけれど、なんとなくそんな風に、私は感じているのだ。 ……うーん、やっぱりファールかな。


最後に 5 巻 13p の『ヒカリカメラ』について。

ヒカリカメラっていうと関東の私にとっては特定のお店を指す。 手元の日本カメラ 3 月号のページを繰ると……、あったあった、362p にそのお店の広告が。 ああっ松屋銀座で中古カメラ市やってたのかー! 行き損ねたー!! うるうる…。

まぁともかく、錦糸町と松戸に店舗を持ってるヒカリカメラが一番に浮かぶのだ。

で、たぶんお店としては、そのヒカリカメラを想定しているのではないかなぁと思っている。 橋本さんがよくいくカメラ屋なのかな?? うーん。

でも立地についてはもちろん別だね。 上のヒカリカメラは伊勢には無いし。 で、小説中にも立地についての描写は無いので、まぁ謎ってことで締めるしかないないかと。


追記 :

ちなみに、 3 巻裏表紙のイラストで描かれているカメラは、多分 D100 だ。  F80 という線も捨てがたいのだが、内臓スピードライトのカバー部分の曲線から D100 だと思われるのだ。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

さぁ、いよいよ虎尾山に再び登るところまで来ました。 ──って、2/12 の伊勢訪問ネタを 3 月まで引っ張ってナニ言ってんだ、という突っ込みはナシの方向で。 うはは。


再びの虎尾山登山で、私が目指したのは「補強」です。 それが何かというと、橋本紡さんの旧日記の記述と、虎尾山の状況とが、ちゃんと合致することを確認することなのです。

「砲台山の途中に、今は壊れちゃったお堂とかあるんだけど~」 ( 橋本紡さんの ( 旧 ) 日記の 2004/02/14 の記述より )

具体的には、旧日記中に記述された場所の探索、『壊れちゃったお堂』を発見することだ。 この『壊れちゃったお堂』を 2/5 に発見できなかったのが、とても心残りだったのですよ。 なので 2/12 の登山では、その部分が最優先事項だったのだ。 はい。


さて、その『壊れちゃったお堂』については『ニャロメの塔』のページに、やはりヒントがあった。 ページに書かれた『竹やぶの中に忘れられた神社』だ。 たぶん、これのことだろうと思う。 おそらく、時間的な経過で橋本さんが日記を書いた時点では、壊れちゃっていたのだと思うのだ。

S 字カーブを登り、フェンスの脇から私は山に入る。 清渓橋を渡るとその先に壊れた公衆便所が在る。 今まではその手前で右折して石段を登ったのだが、今回はまっすぐ進んでみることにする。

虎尾山の壊れた公衆便所

公衆便所のあたりまでは楽に行けるのだが、その先は結構大変だ。 藪やら枝やらを掻き分け、とにかく登る。 すると右手のガケにかつて構造物だったような人工的な跡を見つけた。

虎尾山の防空壕跡?

これが『ニャロメの塔』のページに書かれていた防空壕の痕跡なのかなと思う。

この痕跡付近までは比較的楽に登ってこれたのだが、ここまで来ると後ろ以外三方が全てガケだ。 しかし、私には退却など無い。 ゆえに進むのみだ。 例によって、根性をいれて強引にガケを登ることに。 < ヲイヲイ…

そうやって登りきると……実に見慣れた場所に出た。 ニャロメの塔の脇だ。 あいやー。 まぁともかく、ニャロメの塔に私は 1 週間ぶりの挨拶をした。

虎尾山のニャロメの塔

ニャロメの塔の縁に登り、周りを見渡すと……やはり木々に遮られていて、眺望はかなり悪い。 それでもがんばって撮影してみようか。

ニャロメの塔からの景色・その 1ニャロメの塔からの景色・その 2

上は多分、宇治山田駅の火見台の「近鉄」です。 をー、見えるもんだ。 下は、アイフルとか中京銀行の看板とかは見えるんですが……土地勘が無いので、狙いどころを絞れませんでしたね。 山田赤十字病院とかが撮影できれば良かったんですが……。 うーん残念だ。

そして、塔の前の石段を下り、振り返ってみた。

ニャロメの塔直下の石段

この塔直下の石段や、左右の石積み、やっぱり古絵葉書の写真と同じだなあと思う。 うんうん。


さあ、再びお堂を探そう。 塔のすぐ下の広場を念入りに探すも、それらしき痕跡は無い。 私はさらに石段を下りつつ、左手のガケの下を覗き込む。 あれ? 竹林の中に何かあるぞ。

毎度おなじみ、例によってガケをやたら強引に下りると、果たしてお堂はあった。

壊れちゃったお堂・その 2壊れちゃったお堂・その 1

そのお堂は、もう原型を留めてはいなかった。 それだけの永い間、ここで移り行く時を、街を、人を、ただただ見守ってきたのだと思うと、感慨が沸いてくる。 私は厳かに手を合わせたのだった。


お堂の場所からは、更に下りれるスロープが有る。 行けば、そこはかなり広い広場だった。 何がここには在ったのだろうか? 遠く思いを馳せる。

古井戸

おや、古井戸があるぞ。 地面とツライチだし、蓋もされてないので、危ないなぁ。 覗き込むと底のほうには水がある。 ここまで来る人はあまりいないと思うが、古井戸に落ちないよう注意してほしい。


『壊れちゃったお堂』を見つけたことで、はっきりとした確信が持てた。 「ニャロメの塔の山・虎尾山が、砲台山のモデルなのだ」

私は晴れ晴れとした気持ちの中で、S 字カーブから街を眺める。 すこし汗ばんだ肌に風が心地よい。 そして、軽快なステップでカーブの脇の階段を下りてゆくのだった。

S 字カーブからの眺めS 字カーブ脇の階段

はい、そういうわけで「砲台山は何処に在る? 」はひとまず終了。 今週末にでも、天気が良ければまた行きたいなぁ……とか考えてます。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

お疲れ様です。 - posted by †††††冴††††† at 2006/3/3 00:16:15

虎尾山関連の詳細な記事の執筆、お疲れ様です。
地元の人間でも実は知らない人が多い場所なんです>虎尾山
何度か幾たびに発見のある場所です。「壊れたお堂」ですが、私が初めて見た頃はまだ壊れていませんでした。いつのまに壊れたんでしょう?

半月の舞台探訪を期に、関連する市内の低山登山の登頂記というか、徘徊記を私もやろうと思ってました。先人の記事があるととても参考になります。
中でも三郷山~ロマンの森あたりは子供の頃や学生の頃遠足などで登った記憶しかないので、もう一度歩いてみたいと思ってたところです。

週末晴れたら、市内の撮影がてら歩いてこようかな?

さあ再びの虎尾山 ( ニャロメの塔の山 ) です……と、の前にすべきことが、まだある。

前回書いた「砲台山は何処に在る? その 5 」エントリ中の、「重点項目 2. 」からこなすことにしようかね。


この 2/12 の時点で「虎尾山 = 砲台山」が、自分の中ではほぼ確定していたのだが、不安要素をツブさなくてはならない。 私は、虎尾山のまわりの山にソレっぽい遺跡やら砲台跡やらがある可能性を、まだ完全に否定できていないのだ。 橋本紡さんは旧日記にて『そのうちのどれかが砲台山』と書いているだけなのだから。

そこで、蓮随山を下りた私は、虎尾山の南側の山の永代山を探索することにしたのであった。


まずは山裾をぐるりと廻り、登山口を探す。 ……無いなぁ。 しょうがないので、地形的にイケそうな場所に取り付いて強引に登ることにした。 最近このノリが多いよなぁ…。 具体的には山の西斜面、島田工務店の近くだ。 ああ、そういえば 1 巻 171p に『島田建設と書いてあるヘルメット』が出てきたなぁ…。 まあ偶然だろうけど。

この斜面はかなりキツい。 なんとか登り切ると、そこはちょっとした広場となっていて……ビーチベッドがぽつんと置いてあった。 はあ?? まぁ、遺跡といえば遺跡か……んなワケねーだろ。 誰だこんなトコに置いたヤツは。

気を取り直して廻りを探索する。 ……何も無かった。 眺望も悪い。 うーむ。 東の方にここよりも少し高くなっている場所が認められたので、私はそちらへと進んだ。

永代山のプレート

そこは永代山の山頂だった。 伊勢の山々で見かけた「イセ愛山会」のプレートが枝にぶら下がっている。 これを見るとなんか達成感が沸くんだよねぇ。(w

廻りを探索すると、やはり何も無い。 眺望も悪い。 まぁそんなものだ。 「無いことを確認してるんだから」 うはは。

永代山の山頂付近

上は山頂付近を振り返って撮影した写真だ。 私は、さらに東へと進む。 途中から深い竹林となり、そこを進み行くと住宅地へと抜けた。 本来はここが取付口なんだろうと思うが、振り返って見ても「こりゃわかんねーよなぁ」という状態だった。 結果的に強引に登ったのは悪くなかった様だ。 うむ。


私は急斜面に造成された住宅地を下りていき、古市街道へと出たのだった。 さあ、今度こそ虎尾山だ。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

永代山の登山口 - posted by SUKUN at 2006/9/12 12:30:45

昔は島田工務店より虎尾山よりの亀井電機と言う電気工事屋の前から登る道がありました。近鉄の永代山トンネルのすぐ上トンネルの入り口が見えるくらいの距離に稲荷さんがありました。30年位前には未だお参りする人もいたと思います。

虎尾山の砲台 - posted by senta at 2006/9/14 22:08:16

大正のころ虎尾山にも砲台があったと聞いた事があります。
時報として使われていたそうです。

ここんとこずっと砲台山のコトを書いてるんですが、当 blog のエントリに「星待月夜」のしぺらんさんからトラックバックを頂きました。 ありがとうございます。

「星待月夜」には、たくさんの伊勢の写真があります。 また、氏は伊勢に在住とのことで、その説明にも説得力があります。 オススメです。 はい。


では本題。  2/12 に訪れた伊勢は、私にとって 2 度目となる。 そこで、砲台山関連では以下に重点を置くことにした。

  1. 虎尾山 ( ニャロメの塔の山 ) を詳しく探る
  2. 一応念のため、虎尾山の周囲の山にも登る
  3. 蓮随山に表側からアプローチする

さて、1. と 2. は後回しにして、3. について説明しようか。 というのも、実は 3. は砲台山とはあまり関係が無いのだ。 あうあうあー。 だからさっさと触れておくんだな。

でも一応書いておくと、「伊勢島きらり千選」というページがあってなかなか参考になるのだが、そこの蓮随山に関するページに気になる記述があったのだ。

75年前学校から登った蓮随山

「推薦のことば」に『蓮随山の頂上に登ると、市街が目の下に広がり~』とある。 文章からは何十年も前の話だと思われるので、その頃は眺望が良かっただけだとは思う。 しかし、一応そのページを参考にして、八日市場の福祉会館側からもアプローチすべきかと思われた。 ちなみに、福祉会館とは図書館の東隣の施設だ。


そういうわけで、まずは蓮随山だ。 会館脇の道を外宮神域の柵に沿って進む。 ひたすら坂を登っていくと住宅街が終わり、そして奥に見える登山口から林の中へと入る。

蓮随山の登山口からすぐの場所

写真は登山口から入って割とすぐの場所。 左手の柵は外宮神域を示しています。 この柵はずっと先までぐるりと続いているので、高倉山へ登ることは物理的に無理のようですな。 道の左右で植生が異なっているのも実に興味深い出すなぁ。 さすが神域。

その道をまっすぐ進み、つきあたりを右に曲がり登っていく。 しばらく行くと開けた場所に出る。 梅香寺旧跡だ。

梅香寺旧跡の石碑

写真は旧跡を示す石碑。 その石碑をパスしてさらに行くのだ。 お梅の方のお墓の脇を抜け、いい感じの雰囲気な石段を登る。

梅香寺旧跡の先の石段

ずんずん進んで行くと、いきなり旗が立ち並ぶ異様な光景ががが。 ワリとビビるなぁ、この景色は。 暗かったら結構コワいかも。

旗!旗!旗!

そして、旗の先に見える小さな祠に、私はお詣りしたのであった。

祠のさらに先へと道は続くのだが、行けば 2/5 の時に歩いた山道に出るではないか。 そうか。 やはり蓮随山山頂は「砲台山は何処に在る? その 4 」で書いたそれしか無さそうだ。 ああ、参考にしたきらり千選の『山頂への道はないようだ』の記述も、別にウソじゃない。 いやあ、ありゃ道じゃねえからよ。


そして、私は山道を引き返し、蓮随山を下りた。 目指すは、虎尾山だ。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

2/5 の朝、「砲台山は何処に在る? その 2 」にも有るとおり「ニャロメの塔」を私は見た。 しかし、小説中の砲台山がそこをモデルにしていることを確信できないでいた。


「砲台山は虎尾山ではないのか? 」 そんなことを思いながら、私は別の可能性も探ることにしたのだ。 砲台山の次なる候補の、高倉山山系だ。

しかし、高倉山は神宮外宮の裏手にあり、神域である。 禁足地たるそこへ、一般人の私が立ち入ることは許されない。 信心の薄い私ではあるが、さすがに禁を犯すつもりは無かった。 そう、ここは伊勢なのだ。

そこで、まずは高倉山の山裾をぐるりと廻ることにした。 虎尾山を下山して古市街道を外宮方向に少し戻り、神宮育成会館の付近から丁度時計回りに、だ。 そして、高倉山の西に連なる山々に登るという作戦だ。 そちらの山々は禁足地ではない。

ただ、今だからこそ言えるのだが、 2/5 のその行動は少々甘かったようだ。 山裾をぐるっと廻る道はとても長い。 まぁ、思うに、徒歩はオススメできない。 伊勢市駅前のレンタルサイクルを使うか、路線を調べてバスを利用すべきだった。


さて、山裾の道をずいぶん歩くと『伊勢やすらぎ公園』への分岐に差し掛かった。 見れば道は山側へと伸びていく。 私は、公園という文字にも釣られて、一番上まで登った。

──墓地だった。 広大な。

眺めは良いのだが、南側への展望が開けているのみだった。 勿論外宮なんて見えない。 後から地図を見て知ったのだが、蓮随山・白石山の南側中腹を切り開いて作られた墓地であった。

徒歩で登った私には、疲労と失望しか残ってなかった。 そのためこの場所の写真は無い。 うにゃー。


再び、山裾の道をさらに歩く。 もういい加減疲れてきて「タクシーかバスで帰るか? 」と思った頃にそれは現れた。 『ロマンの森・伊勢三郷山登り口』だ。 西側の登山口らしい。

ロマンの森・伊勢三郷山登り口

ロマンの森、か。 登る…しかないよなぁ。 あうぅ。

意地になって登っていくと、広場に出た。 『つどいの広場』だ。 ここは眺望も良く、眼下に宮川を見渡せる。

ロマンの森・つどいの広場からの眺望

遠くには山田赤十字病院が、見える。

なんとなく嬉しくなってきた私は、その広場に設置されている案内板をじっくりとチェックし、次のビューポイントを目指すことにした。 『学校の森・三郷山西峰』だ。


『学校の森』への道のりは…実に遠かった。 『つどいの広場』からだと、一旦山を下り再び登り直すという格好なのだ。 石段がとてもツラいですよぅ…。 さらには、空からは雪が。 ううう。

三郷山西峰からの眺望

上の写真が三郷山西峰からの眺望です。 木々に遮られる格好にはなりますが、割とイイ眺めです。

三郷山西峰から見た山田赤十字病院三郷山西峰から見た伊勢慶友病院・山田高校

そして、ズームアップして捉えた写真を 2 点。 山田赤十字病院の写真と、伊勢慶友病院・山田高校の写真です。 下の写真の真ん中あたりに慶友病院があり、写真下半分の校舎は山田高校なのです。

イイね。 感動です。

でも、残念ながら伊勢市駅や宇治山田駅は見えない。 外宮の森は、それらしきものがほんの少しだけ見えるという感じだ。 この峰は一番西に張り出しているから、位置関係上ここから見えないならば、三郷山の他のポイントでも見ることは出来ないだろう。


しかし、私は行く。 さらなるビューポイントへと。 来た道を引き返して西峰を降り、また登る。 そして『ふれあいの広場』を目指すのだ。

ロマンの森・ふれあいの広場

たどり着いたその広場は、とてもイイ感じだ。 適度に開けているし、なんといっても展望台がある。 眺望は抜群だ。

ふれあいの広場から見た山田赤十字病院と伊勢慶友病院ふれあいの広場から見た山田高校

西峰とは視点が異なるので今度は 2 つの病院が一枚の写真に収まる。 そして、山田高校の校舎はかなり見下ろす感じとなった。 高校のグラウンドは、雪のちらつく手前の森に遮られて見えない。


ここ『ふれあいの広場』からの眺めは、小説の記述とは異なる。 だからその意味ではここは砲台山では無いのだと思う。 でも展望台から眺めていると、まるで自分が砲台山の上にいるかのような錯覚を覚えた。 苦労して登ったから、そう思ってしまうのかもしれない。 が、いい眺めなのは確かだ。

「ここなら里香をつれてきてもイイな」 …なんてコトを思ったりした。

──もしかすると、この展望台の近くには『本当の頂上』があるのかな?  2/5 に訪れた時は思い至らなかったが、今度登る時には探索してみよう。 まぁ、無いとは思うけど。


ロマンの森案内図

展望台を降り少し歩くと、近くにはまた案内板が立ててあった。 撮影していなかったことを思い出し、私はカメラを構えた。


三郷山のビューポイントは、これであらかた巡った。 さぁ、これからどうするか?

道を少し戻り、北登山口の方へ降りることを考えるが、案内板をよく見れば東へ伸びる細い道があるではないか。 やはり、行くしか…ないか?

「そこに山があるから登る」 ──そんなカッコイイ言葉が脳裏をよぎった、のかどうかは定かではないが、私はロマンの森の道を外れ、山道を分け入っていったのだった。


補足 :

『伊勢やすらぎ公園』は墓地なので車で登れる。 これもまた後になって気付いたのだが、車でその公園の一番上まで行き、そこから山道を『ふれあいの広場』まで歩いて行く……というはアリかもしれない。 この場合『ふれあいの広場』が『本当の頂上』という具合になる。 あぁ、なんとなく楽しいぞ。

ロマンの森の西登山口へ行くならば、多分バスで行ったほうが良いだろう。 歩いていく距離では無い。

西登山口の近くには、うぐいす台の住宅地がある。 昨日のニュースで、そこに住む伊勢市長が亡くなられたことを知った。 おくやみを申し上げたい。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

「半分の月がのぼる空」聖地巡礼シリーズの第 7 弾…になるのかな? これから何回かに分けて「砲台山」の事を書いてみる。 うん。


『おまえ、言ったよな。砲台山に行ったら、覚悟ができるかもしれないって。だったら、簡単だよ。行こう、砲台山に』 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 1 巻 161p )

多分、裕一のこの言葉にヤられたんだろうなぁ……。 そして、今も私の心には響いているのだ。 『行こう、砲台山に

1 巻を読み終えたのは 1/30 だったか。 その時点でもう、伊勢に行く、砲台山に行く、と決めていた。 翌 1/31 には 5 巻までを読了し、 2/1 あたりから砲台山のコトを調べ始めたのだ。


さて、砲台山については、橋本紡さんの旧日記に一番の手がかりが有る。 2004/2/14 付の書き込みがそれだ。 おそらく Google のキャッシュとか、Internet Archive で参照できると思う。 そして、その記述と、『ニャロメの塔』の中の記述が近いことから、『砲台山 ( 龍頭山 ) 』 = 『虎尾山』ではないかとアタリはついていた。 龍の頭と、虎の尾。 シャレも効いている。

しかし、ニャロメの塔の有る山は、本当に虎尾山なのだろうか? それについては確信が持てないでいた。 実際、近鉄のトンネル付近には、複数の山が有る。

また、旧日記中の『ドンの山』については『時報「ドン」』にて情報が得られた。 そこから『高倉山』も砲台山候補に上ったのだが、高倉山は外宮神域内で禁足地であるため登山不可なのだ。 もしかしたら高倉山山頂にはあの砲台跡があるのかもしれないが、私は確認する術を持っていない。


ところで、ここで気になるポイントがあるのだ。 それは小説中の若葉病院屋上からの眺めを書いた記述だ。

「僕は今、屋上の手すりにもたれかかり、目の前に広がる町の風景をぼんやりと眺めていた。町の中心部に、でっかい森がある。それが伊勢神宮だ。」( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 1 巻 56p )

「町に高いビルなんてもんはない。 のっぺりと、地面に張りつくように、町は広がっている。 右のほうに目を移すと、そこにこんもりと盛りあがった山があった。龍頭山というのが本当の名前なのだが、地元の人間は砲台山と呼んでいる」( 同 1 巻 57p )

この記述から病院・外宮・砲台山の相互位置関係が判るのだが、砲台山の場所を虎尾山に定義した場合、病院は向山か船江山あたりの上に在るということになる。

しかし、病院の立地としては『商店街を抜けたところに有る』・『図書館に歩いて行ける』・『病院の西に裕一の高校が見える』などが記述されており、『伊勢慶友病院』が最有力候補で、『山田赤十字病院』か『伊勢市立総合病院』あたりが次点と考えられるのだ。 そして、慶友病院から見て外宮の右に有る山は……蓮随山や三郷山とかなんだよなぁ。


そうやって情報を集めつつ思索してる中、「電撃 hp を買ってきた」のエントリにもある通り、2/3 に電撃 hp を買い込んだ。 読めば、その 22 号 114p の『龍頭山』とあるべき部分には『虎尾山』の文字が有るではないか。 そうなのだ。 「半分の月がのぼる空」の短編としての初出では『虎尾山』だったのだ。

「やはり、砲台山は虎尾山なのか」──と思いつつも、それ以外の選択肢を捨てきれず、私は以下の方針で調査することにした。

  • まずは、ニャロメの塔の山にともかく登る
  • それから、可能ならば付近の山にも登り、著者の言うところの虎尾山を確定させる
  • 高倉山には登れないが調査はする
  • さらにその西に連なる山々に登る ( 蓮随山・白石山・三郷山など )

はたして砲台山は何処に在るのか? さぁ、伊勢はんつき登山部の出発だ(w

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

半分の月がのぼる空 砲台山おまけ - posted by 星待月夜 at 2006/3/2 01:18:29

砲台山こと虎尾山(とらおやま)の調査の途中経過。 本当は、今日さらに調査してから...

砲台山の場所を虎尾山 - posted by tomosan at 2008/4/25 19:25:03

から病院・外宮・砲台山の相互位置関係が判るのだが、砲台山の場所を虎尾山

砲台山の場所を虎尾山 - posted by tomosan at 2008/4/25 19:33:09

橋本さんは、若葉病院屋上(伊勢市立総合病院)から見て、砲台山の場所を虎尾山(尾上町)としたのだと思います。
商店街とか図書館は旧慶応病院の立地条件と思いますが、創作上での文章でしょうが、やはり若葉病院は伊勢市立総合病院で決まりと思われます。