Weblog of pikopiko

声優・アニメ・写真とかを綴るブログ ( ……っつーか、日記か? )
[ 1 | 2 | 3 ] 古い記事 > >>

橋本紡さんの新刊『ひかりをすくう』をやっと買った。

今日……と言うか既に昨日なのだが、急な出張で大阪まで行ってきた。 その仕事については積み残しがあるので、近々にまた行くことになると思う。

で、その帰り。 御堂筋を淀屋橋から梅田までぶらぶらと歩き、途中の BOOK 1st. を視界に捉えて、唐突に思い出したのだ。 「橋本紡さんの新刊を買ってないゾ!! 」と。

急いで店に入り、入口近くにあった検索端末をもどかしげに操作する。 そして、棚に急ぐのだ。

『ひかり~』と『流れ星~』とポップ

そこには、平積みにされた『ひかりをすくう』と『流れ星が消えないうちに』と、そしてかわいいポップがあった。

ああ、ここにも橋本紡さんを支えてるヒトがいるんだなあ……と、少し嬉しくなった。 うん。

ほんわかとした気持ちとそこで買った新刊を抱えて、東京に帰ったのでした。 あ、新大阪駅のキヨスクで、伊勢分を補給すべく赤福を買ったのは言うまでも無い。 ははは。

いま、赤福を食べつつ、 blog を書いているのだな。 『ひかり~』を読むのは、残念ながら来週になりそうだけど、出来るだけ早いうちに読みたいなあ。

あと、そーだ、「あかふくこおり」だよ。 梅雨が明けたら、ぜひとも食べに行きたいな。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

虎尾山は「半分の月がのぼる空」の聖地伊勢に有り、劇中の「砲台山」のモデルとされています。

現在、地元の有志の方により「虎尾山再生計画」が立ち上げ中です。 立ち上げようとされている方の弁によれば、「再生計画」と言っても大仰なものではなく、ゴミに埋もれてしまっている虎尾山をなんとかしたいという意図なのだそうです。


そう、虎尾山を訪れたことのある人ならば知っていると思いますが、あのフェンスの先の清渓橋という石橋の廻り、そこに有るのは不法投棄されたゴミの山です。 橋の名前が皮肉になってしまうのが実に残念なのですよ。 私が Web で虎尾山の写真を紹介する際は、その部分はあえて避けていたのですが、正直ヒドい状態です。

昔から、そして今も伊勢に住んでおられる方が、それをとても残念に思って、その「計画」を立ち上げようとされているのですね。

私にもメールでコンタクトが有り、出来ることは協力させていただきますと伝えました。 本当はすぐにでも掃除の手伝いに行きたいのですが、こっちの都合で 4 月中は伊勢に行けそうもないのが残念です。


現在、その有志の方は虎尾山の地権者や周辺の町会の方などにも積極的にコンタクトを取られている様です。

また、虎尾山の草刈りなども実践されているみたいです。 その辺りは、「星待月夜」の『砲台山入り口がキレイになりました』にも詳しく書かれてます。

活動はまだ始まったばかり。 NPO として立ち上げるのもこれから。 有志のその方は「お互い、負担なく、出来る事を出来る範囲内でやり、助け合う」とメールで書かれてました。 私もそれには共感しています。

少しずつでも、前に進めたらいいなあ……と思います。


追記 : 「星待月夜」経由で「虎尾山再生計画」の blog の存在を知ったので、記事に追記します。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

先月の後半から Blog の更新が滞ってました。 年度末ということもあったのか、バタバタしてましたです。 3/31 には体調を崩して仕事を休んでしまったし…。 あうー。 当 Blog を見に来ていただいた方には残念な思いを抱かせたかもしれません。 申し訳ない。

まあ、ここは泣き言を言うために作った場所じゃないので、今日からジャンジャンバリバリ行きますかね。 はい。


さて、一昨日の 4 月 2 日。 ちょいと用事があって、下北沢の秘密基地 ( 通称あろはビル ) に行ってきたのだな。 で、せっかく下北沢まで行ったワケだし、以前から目を付けていた本を買った。

『チボー家の人々』と『人間失格』

そう、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』だ。 『半分の月がのぼる空』の劇中にも出てきた、あの本だ。

先々週くらい前だったかな。 その時もあろはビルに用事があり、下北沢の坂を下っていたのだが、唐突に脳内に指令が下った。

「──あー、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が読みたいぞなもし──」

なんつーか、しょうがない (?) ので、坂の途中にある古本屋 DORAMA に入り文庫の棚をざっと見る。 が、お目当ては無かった。 まあそんなもんかと振り返って見上げると、棚の上には『チボー家の人々』が有るじゃないですか! しかも、5 冊組、大箱入りで!! 速攻買おうと思ったんですが、その時はいろいろと大荷物を抱えていたので断念。 4/2 にやっと買ったのだ。

そして買う時に、せっかくなので或ることを企てた。 もちろん、太宰治の『人間失格』を一緒に買うということだ。 無かったらどうしようと思いつつ文庫の棚に行けば、太宰はちゃんとそこに居た。 よかったよかった。

最も残念だったのは、お金を出してくれる幼なじみの女の子が居ないことか。 < さういふことは腦内のみに留めておきたまへ!


コレを読むのはいつになるかなあ……。 ちなみに今読んでるのは『涼宮ハルヒの動揺』。 ハルヒはずっと発売日に即買いしてるのに 4 巻以降を積んでたんですな。 せっかくアニメが始まるので読んでるトコなりね。 アニメの 1 話はスゴかったけどね…。 もー、なんというか……。

まともかく、ゆっくりと読むか。 里香にもそう言われたし。 < ヲイヲイ

そーだ、『チボー家の人々』を読了できたら、高野文子の『黄色い本』も読まなきゃね。 うむ。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

拙 blog のエントリ「砲台山は何処に在る? その 4 」に「いにしえの伊勢」の jyugemu さんからコメントを頂きました。 ありがとうございます。


「半分の月がのぼる空」の舞台である伊勢は、歴史のある街です。 「いにしえの伊勢」では、伊勢の古くて貴重な絵葉書を紹介されていて、そういった歴史の重みを感じさせてくれます。

虎尾山1(伊勢)」のエントリ以外も、私は隅々まで読みました。 丁度今、「御遷宮奉祝神都博覧会」とかについて調べているので、とても参考になります。


たしかにお互いの blog の内容は違うのかもしれないのですが、こういった出会いはネットならではと思い、また感動もしています。 今後ともお互い、ゆるりとやっていきましょう。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

御遷宮奉祝神都博覧会について - posted by jyugemu at 2006/3/20 18:29:26

すでにご存じかも知れませんが
『写真集 三重百年』 中日新聞本社 昭和61年11月
に少しだけ触れられています。それによると、各展示館の写真とともに
 「昭和5年3月10日開会、会期61日間。会場は参宮急行
  (現・近鉄)宇治山田駅前。台湾館、朝鮮間、満蒙館、北海
  道館、樺太館、遷都館、名勝館、名物館、演芸館もあった。
  当時の世相を反映している。入場者は55万人を数えた。」
とあります。

3/5 に 3 度目の聖地巡礼をしてきました。

それまでの 2 回は、どちらも終電で宇治山田駅に夜中の 23 時 59 分に着くという行程でして、こりゃさすがに『深夜徘徊世古口』……なんだよねえ。 なので、今回は朝の 10 時半ころに宇治山田に着くという、普通の行程で行ってきました。


さて、まずは「砲台山 = 虎尾山」への登山です。 登り切って見れば、ニャロメの塔の下に見慣れない物を発見。 をを、砲台山にノートががが!!!  「星待月夜」のしぺらんさんが設置されたとのことで、早速ノートに書き込みをしました。 ノートについては「半分の月がのぼる空 ジオキャッシングもどき」に記述があります。

そして、ニャロメの塔によじ登り、撮影を開始。 自宅で地図を何度も何度も見て、シミュレーションを重ねたおかげか、すぐに成功。

ニャロメの塔から見た山田赤十字病院

虎尾山のニャロメの塔から見た山田赤十字病院です。 これが最大の積み残しだったんですよね。 はい。


そして虎尾山を下り、今度は市立図書館へ行って調査活動をしたのでした。

対象はもちろんニャロメの塔。 今回いくつか判りました。

『度会・大宮・南伊勢の山  27 山 / 伊勢山岳会 福井正身・著 / 1994/02/19 第 6 版発行』によれば、虎尾山の塔は日露戦争関連のものとのこと。 ただし、確度としては地元の伝聞と同じくらいかなあと感じました。 そこでさらに調べると、

「虎尾 ( とらがを ) は南方にある高台で、山上に笠松といふ古木があつたが伐採せられて今は無くなつて了つた」 ( 宇治山田市史 上巻 / 宇治山田市役所編集 / 昭和 4 年 1 月 20 日発行 )

というのを見つけました。 上の記述箇所は本の地誌の部分です。 これは多分虎尾山のことを書いたんだと思うのですが、塔については全く触れられていません。

「宇治山田市史」の後に刊行された「伊勢市史」の方も調べたのですが、こちらにはそもそも地誌の部分が無かったです。

他の本を見ると、『図説 伊勢・志摩の歴史 上巻』には『神都博覧会鳥瞰図』という図絵があり、これには「虎尾山遊園地」と「塔」が描かれているのを見つけました。 昭和 5 年のものだそうです。

以前触れた、『 So-net blog:いにしえの伊勢:虎尾山1(伊勢) 』のページの『伊勢参宮地図』にも遊園地は描かれており、こちらは昭和 4 年 3 月の発行です。


うーん、想像を逞しくしてみるのならばですよ、昭和 4 年に「第 58 回式年遷宮」が、昭和 5 年に「御遷宮奉祝神都博覧会」が開催されていることを考えると、それらに合わせて遊園地が造られたのかなあ、という可能性が考えられますね。 塔はその時造られたのか、それよりも前から有ったのかは不明ですが、宇治山田市史で全く触れられていないことから、遊園地と一緒に造られた可能性が考えられるのではないかと。

ただ、ぜんっぜん資料が無い。 検索したら東京都立図書館の本館に神都博覧会の資料があるみたいなので、今度調べに行ってきます。


さてさて、調査を終えた私は、まんぷく食堂で「からあげ丼大盛り」を、さらに赤福内宮前店で「あかふくぜんざい」を食べたのでした。 もう定番ですな。 夏は絶対「あかふくこおり」だ。

そして、内宮からの帰りに、もう一度の砲台山登山を。

暮れ行く稜線

外宮の方角には、暮れ行く稜線が見えます。 きれいです。 そして見上げれば、そこには半分の月 ( ……に、実は少し足りない ) が。

ニャロメの塔と半分の月

幻想的です。 思わず見とれていたら、あたりは真っ暗に……。 あわわ。 足元も見えませんよ。

まあ一応、そういう事態を予想してハンドライトを持ってきていたので、なんとか下山は可能でした。 でも、夜の山に慣れていない場合は、かなり危険なので、全くお勧めはできません。 特に、下りの方が危険なんですよ。 はい。


そんなこんなで、砲台山を満喫して帰ったのでした。 お土産に「伊勢うどん」を買ったので、晩メシはしばらくそれだな。 うむ。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

虎尾山 - posted by †††††冴††††† at 2006/3/8 17:16:14

こちらの記事を参考に、ン年ぶりに蓮随山~三郷山行ってきました。
ずいぶん変わっていてビックリでした。

D200いいなぁ…(Exif情報見ながら)と羨望はともかく。虎尾山の詳細な記事、すごいの一言です。
私も登る度に何度も日赤の撮影は試みましたが、28(22)~85mmのコンデジでは説得力のある写真は撮れませんでした。

虎尾山の資料に関して、「神都の博覧会男 北岡善之助」の中の神都博覧会の絵図(昭和五年)にも虎尾山に塔が確認できます。
確認してませんが、「図説 伊勢・志摩の歴史 上巻」のものと同じものでしょうか。

さて、前回のエントリ「砲台山は何処に在る? その 3 」にて『私は~山道を分け入っていったのだった』…等と期待を持たせる終わり方で書いたのだが、実はあまりネタが無い。

もう、この後はひたすらタダの登山だったんですよね。 うあー。 まぁそういうわけで、 2/5 の行動の続きを。


整備されたロマンの森の道を外れ、私は山道のキツイ傾斜を下っていった。 多分この先は白石山か蓮随山だ。 いやいや記憶でそう思いこんでるだけかもしれない。 …思いこみは危険だな。 うん。

そんなことを考えているうちに傾斜が緩やかになり、ほぼフラットになったところに出た。 道が分岐している。 さあ、どうするか。 今日は国土地理院の地図も持ってこなかったし、ハンディ GPS も無い。 そして道は割とマジな山道だ。 天候は崩れる危険がある。

私は、左を選んだ。 方角で言えば西だ。 そっちに行けば、住宅街や市街があることが判っているからだ。 そう、遭難するリスクのことを考えたのだ。

そしてさらに進むと、道の右手の丘の上にやや開けた場所があるように見えた。 …だが、そこには「青いビニールシート」が張ってあるようだ。 人が生活している…のかもしれない。

開けた場所ならば、そこからの眺望を確認したい。 それこそが今回の登山の最優先事項だからだ。 だがしかし、もしも誰かいたらトラブルになる可能性がある。 伊勢が始めての私としては、それは避けるべきことに思われた。 私は、ビニールシートの丘には登らず、下の道を進んだ。 小心者かもしれないが、それでいい。

道は少しずつ下っていき、いきなりとても開けた広場に出た。 フェンスに囲われた人工的な構造物が、そこにはあった。 それは、宮川中学校の裏手の『配水場』であるらしい。 後から調査した結果によれば、なのだが。

その『配水場』はそこそこの眺望ではあったが、標高は大分低い。 見ると下り階段が学校の方に伸びていた。 「行けば、登山は終わるな」 空を仰ぐと天候は回復しており、日射しがとても眩しい。 私は、先程の分岐を想い出していた。


分岐を今度は右に行く。 山の深い方へと入るのだ。 道は左手が山、右手が谷側となっており、軽く緊張しながら進む。 と、林越しながら、右の谷の対岸に何か見えた。

……ああ、ありゃ『やすらぎ公園』じゃねーか。 そうか、位置関係が判った。 なるほどなるほど。

山道はそのあたりで 90 度左に折れ、今度は 2 つある峰の間の沢筋を下ってゆくようである。 「さて左と右と、今度はどちらにするかな? 」

私は右の峰を選んだ。 たいした理由は無い。 登りやすそうだっただけだ。 しかし、実際にはそこに登山道など無かった。 ひたすら強引にガケを登るだけだ。 もうワリとではなく、思いっきりマジに登山だ。

蓮随山のピーク

そして、ピークに達した。 たぶん蓮随山の、だ。 上の写真がそうだ。 しかし、木々が生い茂っていて眺望は皆無。 実に残念だなぁ。 赤いビニールテープが巻かれた枝があるので、登山者が過去にここを訪れたことは分かるが、山の名を示すプレートなどは無かった。

時計を見れば、ちょうど正午。 そろそろ降りるか?  まだ、外宮も内宮もお参りしていないし、腹も減ったな。 そうだ、まんぷく食堂に行こう。 そう思い至った私は先ほどの山道まで戻り、そして峰の間の沢筋を降りていったのだった。


さてさて、2/5 の登山はここで終わるのですが、いくつか積み残しがあるのですね。

  • ニャロメの塔の山が虎尾山であることを確認する
  • その付近の山 ( 朝日山・永代山など ) にも登る
  • 蓮随山のことを調べてなかったので、調査しておく
  • そのとなりの白石山に登る
  • ハンディ GPS を持参し、各山頂を地図にプロットする

いままでの状況から「砲台山のモデルは虎尾山である」ことはほぼ確定かと思われた。 やはり、橋本紡さんが旧日記で書いていたんだしね。 だが補強材料が必要だ。 確定するために。 ……まぁ、疲れたからそれは次に伊勢に来た時にしよう。 うん。


閑話休題。 自宅に戻って調査していると、こんなページを見つけたのだった。

So-net blog:いにしえの伊勢:虎尾山1(伊勢)

興味深いのは、そのページの絵葉書だ。 右上に塔の写真があるのだが、私はその塔に見覚えがあった。 『ニャロメの塔』だ!  現地に行っただけに、私にはスグに分かった。

……ということは、上の blog の記事から推測するに、少なくとも戦前の時点から塔はそこに建っていたわけだ。 虎尾山遊園地に。 やはり、「ニャロメの塔 = 虎尾山 = 砲台山」の線で間違い無いようだ。

とすれば、あとは橋本さんの旧日記の記述に基づいて付近を調査してさらに補強することが必要かなと思った。 そう、この時に、私の心は決まったのだ。 2/12 にまた伊勢に行くと。 うん。

んじゃ、その 5 からは 2/12 に訪れた時の内容を書きますね。


追記 : ( 2006/03/02 )

星待月夜」さんの「半分の月がのぼる空 若葉病院=山田赤十字病院説まとめ(仮) 」の記事に、参考になる写真がありました。 見れば、近鉄のトンネルに虎尾山の銘板がありますね。 やはり「ニャロメの塔 = 虎尾山」なのですね。 はい。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

no title - posted by jyugemu at 2006/3/15 21:07:28

 初めまして。「いにしえの伊勢」の管理者「じゅげむ」です。私は「伊勢の古絵葉書の写真撮影地が、今どうなっているのかを追い求める」というマニアックなブログを書いています。川上様の詳細な研究のおかげで「砲台山」(虎尾山公園)の場所を正確に知ることができました。どうも有り難うございました。

思いがけないこと - posted by Weblog of pikopiko at 2006/3/16 20:11:41

拙 blog のエントリ「砲台山は何処に在る...

「病院について考えてみた」のエントリに「星待月夜」のしぺらんさんからコメントを頂きました。 ありがとうございます。

んで、そのコメントを読んで、「ああ、自分の思考は固まってたなあ」とか思ったので、それを。


病院については、小説中にいくつも記述があります。

「その向こうに三階建ての小さな病院があった」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 1 巻 24p )

「市立若葉病院には、東病棟と西病棟がある」 ( 同 1 巻 41p )

「屋上には洗濯されたばかりのタオルやシーツが干されていて、風を孕んではたはたと揺れていた」 ( 同 1 巻 136p )

「小さな病院だが、それでも百人くらいの入院患者がいるし」 ( 同 2 巻 50p )

これらから、

  • 「『百人くらいの入院患者』 = 100 床くらいの規模の病院? 」
  • 「病棟が 2 つで、3 階建て」
  • 「屋上にシーツ = リネンを外部業者に委託していない? …というくらいの規模かなあ」

……等を私は想像したわけです。

んで 1 巻あとがきの記述から、「上のような病院が、伊勢から少し離れたところに実在するのかなあ」と思ってたわけですな。


コメントから「固まってた」と考えさせられたのは大きく 2 点ありまして、

  1. モデルって言っても、病院の描写がそのまま引き写されてるワケじゃないかもしんないよなあ。
  2. 伊勢から少し離れてる──の距離感って人によって違うよなあ

……な、あたりなんでした。

1. については、「 100 床くらいの規模っていう部分に囚われてたかなあ」と気付かされたんですね。 前エントリで 3 つあげた病院の全ては、その規模が 100 床を大きく上回るので、完全に除外して考えていました。 うん。

モデルとなる病院をそっくりそのまんま引き写してはいない可能性を考えていなかった。

それから、 2. は『少し離れて』をどう受け取るかっていうこと。

『半分の月がのぼる空』で描かれる舞台は狭い。 浜松に行ったりはしたけれど、基本的には若林病院とその周辺しか出てこない。 そして私は、前エントリの 3 つの病院とも舞台のテリトリー内と考えていたんですよ。

慶友病院はいわずもがな。 外宮・内宮が出てくるので、市立総合病院もテリトリー内かな。 山田赤十字病院は、わりと微妙な位置だけど地図を見たときの感覚ではテリトリー内かな…とね。

でもそれは、実際に伊勢に住んでる人の感覚ではなかったよなあ。 山田赤十字病院の所在地は、今は合併したから市内だけど、でもそれは表記上のことでしかないし。

とまあ、そんなことを思ったのでした。 はい。


病院についてはこれで終わりかな。 多分伊勢の外にいる私には結論が出せないし。

橋本紡さんが伊勢マップを前向きに検討されているみたいなので、もし病院について語られるのならば、それを期待するしかないかな。

まあ、そういうわけで、やはりとりとめもなく書いてしまいました。 読みづらくてすみません。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

no title - posted by キンニ at 2006/8/9 00:47:06

どうもはじめまして。
時々このさいと見てます。
自分も半月大好きです。

病院の事なんですが自分は伊勢保健所じゃないかと思っております。
いちよう東棟と西棟があるし西のほうには外宮もあるからです。
でも自分は伊勢の人ではないので虎尾山がどれなのかは分かりません。
ただyahooマップで調べた結果です。いちようそこの航空写真と地図のURLはっときます。

↓航空写真
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F28%2F35.589&lon=136%2F42%2F48.897&layer=1&ac=24203&mode=aero&size=s&pointer=on&sc=2

↓地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F28%2F35.589&lon=136%2F42%2F48.897&layer=1&ac=24203&mode=map&size=s&pointer=on&sc=4


なんか分かったら連絡ください

どもです - posted by 川上みけ at 2006/8/10 18:08:30

はじめまして、コメントありがとうございます。
病院については「幾つかのモデルをミックスした」……ということのようですね。 橋本紡さんがそう書かれてますし。
ですので、保健所を部分的に利用したという可能性はあるかもしれませんね。 はい。
ただ、さすがに保健所は見に行ってないので、私には判らないなあ…。 3 月を最後に伊勢には行ってないし…。 あう。 また行きたいんですが、日程的な都合がつかないのが寂しい。 8/8 に行けなかったし。

そうそう、「半分の月がのぼる空」の最新刊の 8 巻に伊勢マップが付いてますね。 これによれば、病院の立地は慶友病院がモデルということになるのかなと思います。

『半分の月がのぼる空』の舞台は病院ですよね。 今回は病院について書きます。


小説に出てくる病院の名前は『市立若林病院』ですね。 この病院については橋本紡さんは以下のように述べています。

「裕一と里香が入院している病院は実在の病院をモデルにしているものの、それは伊勢から少し離れた場所にあります」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 1 巻 226p )

これは、病院そのもの ( 外観とか内部とか ) についての記述だと私は考えています。 『伊勢から少し離れた場所』と書くくらいだから、モデルとなった病院はきっと伊勢市街やその近くには無いのでしょうね。

ちなみに、津市に若林病院という名前の病院は実在するみたいなんですが、行ったこと無いので私には何とも言えないです。


それでは、病院の立地としてはどうなのでしょうか。

小説中の記述では、「病院は町の高台にある」、「病院からは外宮が見え、その右に砲台山が見える」、「病院の西方、小高い山に高校がある」ことになっています。 「砲台山のモデル = 虎尾山」と確定しているので、この条件を満たす立地は「岡本」「勢田町」地区の向山か船江山あたりと言うことになるでしょうか。 この場合、商店街も図書館も高校も近くには無いと思われます。 いろいろと破綻するのですよ。

さて、ここで「砲台山の立地は三郷山である」とあえて定義してみましょうか。 こうすると、病院や病院の近くにあるポイントがある程度は無理なく存在できるようになります。 うーん。 ではその線で少し考えてみますかね。


まずはじめに「市立伊勢総合病院」を。

市立伊勢総合病院

この病院は、名前としては「市立」で条件を満たします。 が、砲台山の立地を虎尾山・三郷山のどちらに設定しても、図書館・高校・商店街との位置関係を満たせません。 なので、脱落……でしょうか。


次に「山田赤十字病院」です。

山田赤十字病院

この病院は、「三重県の南勢地区以南では心臓血管および呼吸器外科手術を行える唯一の施設」なんだそうです。

立地としては概ね良いのですが、ここから外宮方向を眺めるとき、外宮の森 ( 含む高倉山 ) と、その西の三郷山山系が一体化して見えるでしょうね。 あと、山田高校の方角は南南西になってしまいますね。

商店街については、「しんみち商店街」の終わりからはずいぶん離れてます。


最後に「伊勢慶友病院」です。

伊勢慶友病院・北側伊勢慶友病院・南側

上が病院を北から見上げた写真で、下が南の方から撮影したものです。

立地としてはこちらも概ね良く、山田高校は南西の方角に見えます。 高倉山・三郷山には大分近いので、はっきりと分離して見えるはずです。

商店街については、こちらも「商店街」の終わりからはやや離れています。 しかし、「たかやなぎ商店街」のアーケードからはすぐ近くなのはポイントでしょうか。


さてさて、ここで小説から他の記述を引用します。

「『うちはさ、あんたも知ってるだろうけど、K大学の系列なんだよ』」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 81p )

亜希子さんの科白です。 「伊勢慶友病院」は昔慶応大学の系列病院だったそうなので、これは重要なポイントかと思われます。

「僕は市立図書館までの長い道程を踏破してきたのだった」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 1 巻 82p )

これもポイント。 「伊勢慶友病院」からだと、約 500m の道程。 そして「山田赤十字病院」からだと約 1,300m の道程だ。 「長い道程」に着目するならば「山田赤十字病院」なのかもしれない。 でも入院していて、抜け出すと怒られる患者にとっては、 500m の道も長いかもしれいないですよねえ。

「遠くに商店街のアーケードが見えている。潰れかかったデパートの青い看板も見える。その少し奥に神宮の森がこんもりと盛りあがっている」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 2 巻 139p )

これもポイントでしょうか。 青い看板のデパートとは「三交百貨店」ですよね。 現実には既に閉店してしまいましたが。 この三交を眺め、少し奥に外宮が有るという位置関係は、「山田赤十字病院」の方がやや適してますね。


で、「市立若林病院」が建っている場所はどこなのか。

総合的に判断すると……「伊勢慶友病院」と「山田赤十字病院」のどちらもアリなんですよね。 私は「伊勢慶友病院」を押したいとこなんですが、「山田赤十字病院」も否定は出来ない。

もう少し小説を読み込んで、考察する必要がありそうです。 あう。 すみません、オチつかなくて。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

若葉病院のモデル - posted by †††††冴††††† at 2006/3/3 21:38:54

病院については諸説ありますね。
「実在の病院をモデルにしているものの、伊勢から少し離れた場所にある」と1巻のあとがきに書かれていましたね。

第一巻時点での物語内時間、西暦2000年時点で考えてみると、
K大学系列といえば慶応だけど、慶応病院は伊勢市内です。
日赤(山田赤十字病院を現地民はこう呼ぶ)は御薗村にあり「伊勢から少し離れた場所」の条件には合致。ただし、病棟の配置が小説とは違う。
伊勢病院は病棟の配置が小説に近いが、立地条件が違う。

個人的にはこの三つの病院のミックスだと思いますがいかがでしょうか?

病院についての補足…かな? - posted by Weblog of pikopiko at 2006/3/7 20:30:14

「病院について考えてみた」のエントリに「星待月夜」のしぺらんさんからコメントを頂きました。 ありがとうございます。
んで、そのコメントを読んで、「ああ、自分の思考は固まってたなあ」とか思ったので、それを...

町の高台にある病院といえば - posted by SUKUN at 2006/9/6 23:29:02

伊勢から少し離れた場所にある、町の高台にあるといえば「県立志摩病院」は伊勢から少し離れた志摩市鵜方の高台にあります。高台のみ一致かと。
山田赤十字病院、市立伊勢総合病院、県立志摩病院は系列としては三重大系列かと思います。

『半分の月がのぼる空』には、カメラが出てくる。 『ニコン製の一眼レフ』だ。 1 巻で裕一の父親をイメージさせる小道具として登場したそれは、3 巻からはがらりとその性格を変え、最終的には裕一と里香の日常を支えるポジションに収まっている。

6 巻で裕一は、自分で現像までしているね。 あぁ、酢酸の匂いがよみがえってきた…。 き、気持ち悪い……。(ww

さて、ではその 3 巻の記述から。

「一眼レフだからレンズはいいものだけど、なにしろ古いのでオートフォーカスなんてついていない」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 92p )

「もちろん自動露出補正機能もなかった。」 ( 同 )

カメラ好きとしては、やはり機種が気になる。 この次のページで裕一が値段を言っているが、そこからニコンの F ヒト桁かと、想像した。  F か F2 かと。

「『この数字はなに? 』『そ、それはシャッタースピード』~『じゃあ、こっちの数字は? 』『フィルムの感度……だったかな……たぶん……』」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 108p )

おや、ASA を設定できるのか。 ならば、フォトミックファインダーが装着されているのだな。 ふむ。

この先のページで、裕一は蓋の開け方が分からず苦労し、里香の助けで開ける。 その部分の記述にはちょっとした疑問があるのだが、それは飛ばして蓋という部分にだけ着目しようか。

「『ねえ、これじゃない 』 パカ、と蓋が開いた」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 109p )

これでなんとなく想像がついた。 F2 だな。 F だとパカって感じじゃないと思うから。

そして、その先ずっと読み進めても「ガチャガチャ」の話は出てこない。 裕一は蓋の開け方を知らなかったのだから、父親に教えてもらえなかったのかもしれない。 それにレンズが 1 本だけだったならば、関係無いわけだしなぁ…。 でもまぁ、そのあたりから、 F2 フォトミックの A か AS かと推測してみた。 要するに Ai レンズをつけているんじゃないかと思ったのだな。


さてさて、じゃあ「ちょっとした疑問」の話を。

「『ほら、これ 』 里香が指差したのは、フィルムを巻くレバーの脇についている、銀色の小さなツマミだった。蓋を閉めて、そのツマミを捻じってみると、さっきと同じようにちゃんと蓋が開いた」 ( 橋本紡著・半分の月がのぼる空 3 巻 110p )

おや? 違和感がある。

フィルムを巻くレバー』とは、巻き上げレバーのことか? それとも巻き戻しクランクのことか? いや、どっちにしろ記述のような場所にはツマミはないはずだ。 F も F2 も蓋を開けるツマミは底面にある。 底面のツマミを起こして捻じるのだ。

うーん……。 しばらく考えて、思い出した。 そういえば、Nikomat EL や Nikon EL2 がその記述に近いのではないか? 確か EL 系は巻き戻しクランクの脇にツマミがあって、それを操作してクランクを引き上げると蓋が開くのだ。 Nikon のカメラの中では、知らないと蓋がなかなか開けられない機種だ。 多分、裕一には無理だな。(w

でも、EL だと絞り優先の AE が使えるから、小説の記述とは反する。 うーん…。 さてさて、じゃぁ機種は何だ?

──まぁ、それは小説中で明かされているのだ。  4 巻 324p で夏目が F2 と言ってる。 夏目はカメラのことにも詳しそうだし、ホントに F2 なんだと思う。 F2 は機種名がボディに書いてあるワケじゃない。 知らなければ、F2 と断言できないだろうから。

じゃぁ、蓋を開けるツマミの件はというと……これは謎だ。 間違えたのか、それとも確信的に他の機種のソレを混ぜて書いたのか? ホントのところは橋本さんに聞くしかないと思うのだが、私は実は後者ではないかと睨んでいる。


ひとつのものをふたつにわける。

ふたつのものをひとつにあわせる。


考えるに『半分の月がのぼる空』にはそういった部分がいくつか見られる。 「病院の立地と、病院そのものの記述」 「小説の古市街道の描写と、現実の御幸街道の描写」 ……多分探せば他にもあるだろう。 そしてそれらは小説のテーマにも実はリンクしているのではないかと思うのだ。

それは…、「半分の月」 「裕一と里香」

深読みどころか、大ファールの可能性も大きいのだけれど、なんとなくそんな風に、私は感じているのだ。 ……うーん、やっぱりファールかな。


最後に 5 巻 13p の『ヒカリカメラ』について。

ヒカリカメラっていうと関東の私にとっては特定のお店を指す。 手元の日本カメラ 3 月号のページを繰ると……、あったあった、362p にそのお店の広告が。 ああっ松屋銀座で中古カメラ市やってたのかー! 行き損ねたー!! うるうる…。

まぁともかく、錦糸町と松戸に店舗を持ってるヒカリカメラが一番に浮かぶのだ。

で、たぶんお店としては、そのヒカリカメラを想定しているのではないかなぁと思っている。 橋本さんがよくいくカメラ屋なのかな?? うーん。

でも立地についてはもちろん別だね。 上のヒカリカメラは伊勢には無いし。 で、小説中にも立地についての描写は無いので、まぁ謎ってことで締めるしかないないかと。


追記 :

ちなみに、 3 巻裏表紙のイラストで描かれているカメラは、多分 D100 だ。  F80 という線も捨てがたいのだが、内臓スピードライトのカバー部分の曲線から D100 だと思われるのだ。

このエントリに対するコメント・トラックバックは……

[ 1 | 2 | 3 ] 古い記事 > >>